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関東神社巡り 横須賀の神々4

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願いが叶うという叶神社 乃木坂工事中の中でヒット祈願として訪れていた神社であることは知っていたが、乃木坂46ファンだからと言って別に聖地巡礼として参拝したわけではない 叶神社は東西に分かれている 元々江戸時代に浦賀を東西に分けた時に、これまでどおり同じ神徳をと願った住民の願いによって東側にも分霊を行ったとのことだ したがって、西側の叶神社が元宮であったということになる まずは東の叶神社 こちらの奥ノ院には幕末に勝海舟が咸臨丸で米国出航前に断食修行をした場所が残っている 長い長い階段を上った先に奥宮がある 神明社 東照宮 奥ノ院(本殿) 奥ノ院全体がやけにひっそりとしているのは幕府側の神社とされたからだろうか ただ元々叶神社自体は石清水八幡宮から勧請された神社ということで、御祭神は誉田別尊(応神天皇)となっている 八幡神社でないのは不自然な気がする 続いて西側の叶神社 こちらが叶神社の元宮となる こちらの神社の方は寺っぽいので、そばにある東福寺と習合された影響だろうと思われる この神社を建立したのも分覚上人という僧侶なので、当然と言えば当然か 叶大明神となっている 摂社で祀られている御祭神で面白いものが見つかった 大鷲神社があり、天日鷲命が祀られているのだが、これが元鎮守ということだ ここにも忌部氏の痕跡があった だが、日本武尊が前面に出ている事から、海南神社と同じように忌部系の祭神は薄められた可能性が考えられる だが、由緒にはそのようなことは何も記述はない 叶神社は両方とも海岸線に近いことから、かなり古くから存在し、元々は違う御祭神が祀られていたのだろう それにしても日本武尊とはいったい何者だろう?ヒーローなのか、侵略者なのかという疑問が沸々と湧いてきた 参考) 叶神社

関東神社巡り 横須賀の神々3

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以前(2009年)自転車であちこち走り回っていた頃、走水神社の神職者さんの行列を見かけた 撮影はE-520 + 12-60mm F2.8-4 当時はあまり神社というものに興味は無かったのだが、この光景がやけに心刻まれていた 時は流れて2024年、古代史散策と神社巡りが趣味となり、再び走水神社に行った 走水神社は創建年代は不明 御祭神は日本武尊(やまとたけるのみこと)と御后の弟橘媛命(おとたちばなひめのみこと)の二柱だ  日本武尊の東征のため、房総半島に渡る足がかりの地となる横須賀、そして走水神社 古代東海道はここから海を渡り、房総へ向かうということらしい 房総へ渡る時に暴風雨にあい、それを鎮めるために犠牲となった弟橘媛命 その伝説はここ横須賀だけでなく対岸である房総側にも多くある 何しろ木更津や君津の地名の由来も日本武尊が弟橘媛命を偲んで、「キミサラズ」が訛ったという話もある 奥ノ院に行くと面白い摂社があった 古代稲荷社ということらしい このかたちの稲荷社は見たことがない 向かって左から諏訪社(タケミナカタ)、神明社(アマテラス)、須賀社(スサノオ) 多分ここが元宮なのだろうと思ったが、国津神であるタケミナカタが祀られているというのは若干違和感がある 高台にあることからこの地は昔から津波や高波からの避難地であったと感じた 井戸も存在することから、水も豊富な場所であったことから、ここは日本武尊が来る前から地域住民が集まる重要な拠点だったと感じた ここ走水神社には河童も祀られている 河童たちは散々いたずらして住民たちを困らせてきたが、大津波の時に罪滅ぼしということで、住民達を守るために河童達は奔走したが、虚しくも河童達はみな滅びてしまったという綺麗な伝説だ 奥にあるのが水神社 河童が祀ってある 正直言って怪しい伝説だなと感じた 多分河童は漁業や水運に精通した元からいた先住民、または先に開拓した人々のことだと思う ヤマト政権側の入植者達は先住民たちを蹂躙したのだろう そういう意味ではこの伝説は怨霊信仰のひとつではないかと感じた  そういえば以前トレッキング趣味であった時に奥多摩や丹沢に行くとやたら日本武尊の名前も見かけた 御岳山をはじめ奥多摩...