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関東神社巡り 日野の神社巡り

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体調も戻り、天気も晴れたので日野の神社巡りに出かけた 最初は高幡不動へ 神社巡りと言いつつ、最初に訪れたのはお寺というのはご愛敬 地元が近いこともあって、過去に何度か訪れている 創建は大宝年間(701年)以前と言われている ただ密教寺院となったのは平安時代の清和天皇の時代ということらしいので、元々は神社のような祭祀場だったと思う 重要文化財や八十八ケ所巡拝路などもあり、いつ来ても飽きないお寺だ 高幡不動の近くには新撰組の土方歳三の生家があり、新撰組との関わりも深いようだ 緑の鮮やかな季節となりました 蓮が咲いていたのを見たので、そろそろ蓮の撮影にも出かけよう 次は若宮神社 若宮神社ということなので、当然ながら仁徳天皇が御祭神だ 創建は不詳ということだが、慶安年間に建立されたとも言われている 境内は綺麗に整備されており、土地の総鎮守ということもあって、地元の人から大事されているのだなと感じた 次は八坂神社 御祭神は素戔嗚尊(スサノオノミコト)、配祀神として櫛御気野命、倉稲魂命、大山咋命が祀られている 元は牛頭天王社だったが、明治政府の神仏分離令で八坂神社となったのだろう そのせいか、境内には仏像も安置されており、神仏習合の名残も見られる 天然理心流奉納額も納められていることから、この神社も新撰組との関わりがあるようだ 次は日野宮神社 創立年代は不明とのこと。武蔵七党の中の西党の祖日奉宗頼が武蔵国の国司となり、その子孫が祖神を祀って日野官権現と称したという言い伝えがあるとのことだ ただ、天之御中主が御祭神ということなので、元は妙見信仰がなされていたと思われる ここも八坂神社同様、神仏分離令で無理矢理神社となったのだろう 仏像が祀られていることから神仏習合の名残が見られる この日野宮神社付近には栄町遺跡というものがある 遺跡自体は中世の遺構ということだが、元々このあたりは往古の時代より開拓されていたものと思われる 武蔵七党というキーワードや甲州街道の日野宿もあることから、この地域は昔から人が集まっていたのだろう 動画は

久々に新しいカメラを購入した(Sony ZV-E10)

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久しぶりにカメラを購入した 今回購入した条件としては、お散歩用カメラなのでレンズも含めて小さいこと、Sonyのカメラであることとした 値段的に手頃なのはVLOGCAM系統 フルサイズだとレンズも大きくなるし値段も高くなるので不可 そうなるとZV-1 IIが候補だったが、APS-CセンサーのZV-E10の方が値段が安いということもあって、こちらを購入した Xperiaのカメラはやはりメモ程度のカメラから脱却できず、専用のお散歩用カメラが欲しくなった NikonユーザーならZ30という選択肢もあったが、単純にSonyのカメラをひとつは持っておきたかった 購入した当日にZV-E10の新型が出るというニュースが出て軽く動揺したが、あくまでお散歩用カメラで本格的なことは望まないので、旧型のままでいいと納得した 現在、親知らずの治療中でずっと籠もりっきりだったが、少し改善したので八王子へのサイクリングがてら神社巡りと試し撮りをした ファインダー越しではないので、キットレンズ(SELP1650)でどこまでボケるかはわからなかったが、ここまでしっかりボケるのなら十分だ この奥行き感はスマホでは出せない 色合いや明暗の感じも豊か 今のところキットレンズだけで十分だが、そのうち広角レンズが明るい単焦点レンズが欲しくなるだろう スマホでは表現しにくい写真も撮れる けして撮れない訳ではないが、こういう写真をイメージして撮ることができるという感じ なお、動画性能は以前使っていたZV-1同様使いやすい またピクチャープロファイル(PP)はPP10(HLG)を使うのだが、色合いもしっくりくるのでばっちりだ おまけにVLOGCAMは音声もいい 手ぶれ補正機能は弱いが、ジンバルを使うまでもなく、CatalystBrowseというソフトであれば編集時に大分修正できる こういうソフトがあることからSonyのカメラが欲しかった理由でもある 試し撮り動画は以下のとおり

宝塚記念を予想する 2024

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2024前半の〆、宝塚記念 少頭数で戦力拮抗 おまけに道悪となりそうだ 何が来てもおかしくない ということで、予想 正直なところ、内枠に強い馬と上手い騎手が集まっているので、そこで予想は完結してしまった感じ あと道悪な馬場がどんなレース展開になるかが見もの レーン騎手が天才っぷりを発揮しそうなので、▲とした以外は順当かな ドウデュースを本命にしないのは、道悪は苦手なんじゃないのか?という感じ ブローザホーン、ルージュエヴァイユも捨てがたいので買うと思う ディープボンドは外すと馬券に絡んでくるし、池添がグランプリレースで爆発しそうな気もする 馬券の買い方は最後まで悩みそうだ

関東神社巡り 近所の神社2

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引き続き地元の神社巡り まずは春日神社 御祭神はオオヒルメノミコト(大日孁尊)、アメノコヤネノミコト(天児屋根命)、タケミカツチノミコト(武甕槌命)、フツヌシノミコト(経津主命)の四柱だ 天照大神とせず大日孁尊とするあたり、ひと味違う感じがする この神社はいちおう由緒があって、創建は不明だが、治承年間にはあったらしいので、そこそこ古い神社ということがわかる でも個人的に春日神社は藤原氏が奪った祭神(武甕槌命、経津主命)を祀る神社という気がして、あまり好きではない 次は八坂神社 こちらにはとくに由緒はないが、八坂神社なら御祭神はスサノオノミコト(素盞嗚命)または牛頭天王ということになるだろう 牛頭天王は渡来神だが、素盞嗚命と習合した神さまということなる 個人的に八坂神社は弥栄(いやさか)が訛ったものと考えている ちなみにこの神社は明治天皇が休まれた場所らしい ここ多摩は明治天皇が兎狩りなどで度々行幸されていたということで、最寄りの駅名も聖蹟桜ヶ丘となっている 同じく多摩には聖蹟記念館がある 緑も豊かで、四季の風景が楽しめる公園だ 明治天皇が訪れた往時を偲ぶ風景が残されているものと思うと、感慨深い

関東神社巡り 近所の神社1

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地元、近所の神社を巡るのもいい メジャーな神社巡りばっかりだとミーハーがすぎるので、時には小さな地元の神社にも参拝をする まずは諏訪神社 由緒書もない無人の神社だ 諏訪神社というくらいだから、建御名方命がお祀りされているのだろう でも、神社の千木を見ると... 内削ぎ、いわゆる女神を祀る形式になっている お祀りされているのは建御名方命の妃神にあたる八坂刀売神だろうか?とはいえ千木の形式は絶対的なものではないらしいので、これを建築した方にそこまでの意識がなかったのかもしれない お次は熊野神社 この熊野神社ではお祀りされているのが、速玉男神、泉事解男命、意冨加牟都美命 とくに 意冨加牟都美命は東京で唯一ここで祀られているらしい 鳥居脇には廃寺となった別当寺熊慶寺にゆかりのある地蔵尊と庚申塔がある また、ここには鎌倉街道に設けられた木柵の関と伝えられる参道脇の「霞ノ関南木戸柵跡」がある 多摩ニュータウンと言いつつ、多摩市には意外に歴史があるのが面白かったりする

安田記念を予想する 2024

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先週はボロボロだったが、どうにかこの安田記念で流れを変えたい というのも、このレースは今のところ毎年的中させている 天候も悪く不透明ではあるが、ここはしっかり当てていきたい ということで、予想 迷いに迷ったが、武豊、モレイラ、川田を軸にして馬券を狙っていきたい 難しい馬場だからこそ騎手の腕が光るだろう ⑦ロマンチックウォリアー、⑫フィアスプライド、⑬ステラヴェローチェあたりも気になる しっかり獲って宝塚記念に臨みたい

関東神社巡り 忌部の足跡1

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南房総の神社巡りは、阿波忌部の痕跡を巡る旅でもある 阿波を開拓した忌部一族がさらなる繁栄を求めて、この房総半島に上陸し、土地を開拓したと言われている 千葉の最南端のこの地は四国の阿波(あわ)にちなんで同じ名称の安房(あわ)だ また忌部一族が房総全域を開拓し、その地が麻がふさふさに育つことから総国(ふさこく)となり、時代が下って上総(かずさ)、下総(しもうさ)、安房(あわ)と別れた 安房の房の字もふさなので、統一された名称ということがわかる そんな天富命率いる忌部一族が最初に上陸したといわれるのが駒ヶ崎神社だ 神社にはとくに由緒書らしきものはない 神社というよりは祠といった感じ 鳥居越しに太平洋を見る 黒潮に乗って阿波からこの地に上陸したのだろうか 伊豆半島や伊豆大島にも忌部の足跡があるようなので、いずれそちらにも行ってみたい 駒ヶ崎神社からちょっと上がったところにあるのは布良崎神社 鳥居の真正面に富士が見える この布良崎神社の由緒書には、5世紀に御祭神である天富命が四国の忌部族を率いて上陸したとあるが、神武天皇の勅命とあるため皇紀2600年とは矛盾してしまう 個人的には皇紀2600年というのはファンタジーと思っているので、納得できる部分もある 男神山と女神山? 天富命は天布刀玉命の孫にあたる 天布刀玉命は天孫降臨の際、瓊瓊杵神に従い随伴した神のひとりで、天児屋根神(中臣氏、藤原氏の祖神)とともに祭祀を司る神とされる その天布刀玉命に従ったとされる神は天日鷲命、手置帆負命、彦狭知命、櫛明玉命、天目一箇命の五神 阿波忌部の祖神は天日鷲命となっており、天富命は天布刀玉命直系であることから、主従関係、上下関係も明白だ 天富命は阿波忌部(天日鷲命)ということではない また、天富命は讃岐忌部(手置帆負命)や紀伊忌部(彦狭知命)も率いていた事が他の神社伝承からもわかっているので、イコール忌部ということでなく、忌部を統括する立場の人であったようだ 忌部というのは祭祀を司る部民であるため、天布刀玉命に連なる人々は共通の信仰(神道)を基盤としていたことがわかる 祭祀を司る部民だとは言え、やっていることは祭祀だけでなく、農業、漁業、建築土木などにも通じていたため、神武天皇(ヤマト王権)からの信任も厚く、東国開拓を任されたのだろう と、なると神話における建御雷神、布都御魂の東征神話との関連