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ラベル(NIKKOR Z 24-120mm f/4 S)が付いた投稿を表示しています

関東神社巡り 房総のタカミムスビ

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南房総で見つけた不思議な神社 その名も高皇産霊(タカミムスビ)神社 例によって房総で色々な神社を参拝していたのだが、この神社はとくに参拝予定は無かった ただ、前日に南房総の隣にある館山市にも同じ名前の神社があって、そこには参拝した 館山市の高皇産霊神社は町の中にポツンとある小さくて素朴な神社だ ここは別名が高井神社とも言われている 高皇産霊尊をお祀りしている神社だと高木神社と言われていることから、タカギからタカイへ訛ったのかも知れない いずれにしても、墨田区の高木神社同様に神仏分離で寺から切り離されたものと思われる そのため、創建の由緒も元々の御祭神もよくわからない そういうこともあって、南房総千倉にある高皇産霊神社も造化三神の一柱を祀っているとは言っても、比較的近年の創建された神社で見る価値は低いのでは?という思いもあって、とくに参拝は予定していなかった しかし、色々予定が変わった事もあって時間が空いてしまったので、ちょっと寄ってみることにした ところが.... まずは道の駅から眺めた光景 ※画面中央の銅葺きの建物 何しろその大きさに驚いた 初めて見た時には「え、あれ!?」と思った おまけにどこにもこの神社に関する情報がない 急いでネットで調べてみたけど、たいした情報がない ナビの案内ではとても車では行けそうもないが、なんとかかんとか隣の高塚不動尊までは行けそうなので、そこまで行って歩いて行くことにした   高塚不動尊 ここはここでとても趣のあるお寺でした 畑の中を進んで到着  拝殿の前の鳥居は神明鳥居 一の鳥居は明神鳥居 神社の造りは神明造 シンプルでありながら重厚さを感じさせる 境内は綺麗に整備されており、稲荷の祠もあったが、とくに狐やらなんやらゴチャゴチャとしたものは置かれていなかった その分由緒などを記すものもなく、なぜこんな町のはずれに立派な社があるのかが全くわからなかった ただ、ふと鳥居を通して海岸方面を眺めてみると... ここはけっこうな高台であることがわかった 個人的に神社というものの成り立ちのひとつは、人が集まるところと思っているので、太古の昔に人が集まり賑わいのあった場所、つまり湊であったと感じた 人間の営みに真水は欠かせないため、古い神社には必ずと言っていいほど井戸や池、綺

関東神社巡り 二つの磯前神社

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それぞれの神社の御祭神は次のとおり 大洗磯前神社  主祭神・・・・大己貴命  配祀神・・・・少彦名命 酒列磯前神社  主祭神・・・・少彦名命  配祀神・・・・大己貴命 それぞれ主祭神と配祀神が共通かつ逆転しているのは、互いに縁故が深いということだ 『日本文徳天皇実録』によると、斉衡3年(856年)に常陸国鹿島郡の大洗磯前に神が現れたとされ、大己貴命が大洗に、少彦名命が酒列に祀られ、両社の創建となったと伝えられている 延喜式神名帳にはそれぞれ「大洗礒前薬師菩薩明神社」、「酒烈礒前薬師菩薩神社」となっており、成り立ちも含めて極めて仏教色が強く、国津神(大己貴命)と天津神(少彦名命)、神仏がそれぞれ習合している 多分昔は仏教色ギラギラの神社だったと思う だが、戦乱等により荒廃・廃絶されていた両社は、水戸光圀の手によって造営された 多分のその時に仏教色は排除したのだろう なぜなら黄門様は仏教色のある華美な神社を嫌うからだ ・大洗磯前神社 ・酒列磯前神社 大洗磯前神社で気になったのは、神さまの上陸地とされている海上の鳥居の近くに次のような注意書きがあった あれ?由緒書には石が変化したとか人に取り憑いたとかあったけど違うの?上陸ってことは鹿島や香取のように神さまが海から来たの?それとも太陽信仰の名残?とか思ってしまった かと思えば、磐座が境内から外れたところにあったのだが、 この大洗磯前はかなり古い時代(縄文・弥生)から祭祀場だったんだなと思った また、大洗も酒列も社叢がジャングルのようだった 南方から渡来してきた渡来人・民族には、温暖な大洗・酒列のような太平洋沿岸地域は住みやすい環境だったのではないだろうか 太平洋を目の前に仰ぎ、太陽の恵みを受けていたここ大洗・酒列は原始信仰の祭祀場だったが、ヤマト王権の侵略を受けて神さまを上書きされたのかもしれない また、田中角栄のように国土を開発・発展させていく大己貴命(大国主)と、様々な技術をもった渡来人の少彦名命が合体・協力していく様は、まさに日本(日高見国)は現在の世界の先端を行ってたのだなと思う いずれにしても、ここ大洗・酒列は日高見国の重要拠点だったのかもしれない

関東神社巡り 茨城の橿原神宮

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何故か茨城にある橿原神宮 こぢんまりとした神社だが、実は奈良にある橿原神宮よりも創建は古い というのも現在奈良にある橿原神宮は明治23年創建で、この茨城にある橿原神宮の創建は奈良時代の和銅年中(708-715年)ということだ 御祭神は神武天皇、桓武天皇、崇道天皇(早良親王)となっている   この地を治めていた平国香の先祖を辿ると桓武天皇にあたり、その関係の深い親王である早良親王の二柱を平氏一族の守護神として祀ったのだろう 早良親王は桓武天皇の皇太弟にあたるが、藤原種継の暗殺に関与した罪に問われ、皇太弟を廃された 絶食して没した事になっているが、事実上の処刑だと思われる しかし、その後不吉な事象(皇室関係者の病気、死亡、疫病の流行等)が相次いだため、早良親王の鎮魂のため崇道天皇と称されることになった だが正式な皇位継承をしてないため、歴代天皇には数えられていない この神宮の名前は以前は柏原大明神といわれていたらしい 柏原というのは桓武天皇の別名が柏原天皇なので、名前からいっても桓武天皇が主祭神のような気もする ただ、桓武天皇と崇道天皇はあとから合祀(延長5年《927》)され、その時から柏原大明神となったとのことなので、やはり最初から神武天皇がお祀りされていたようだ また、境内にある由緒書によると、元々は石崎村升原( 茨城町中石崎 )にあったものを室町時代に湊村宮山町(明神町)に遷座した しかし江戸時代に炎上したため最終的にここへ遷座されたことになっている ここからは勝手な妄想だが、最初に升原にあったものは涸沼沿いにあったことから、海沿いの重要拠点だったと思われる しかしその後海が引いたことから、中心地が那珂湊付近に移ったためこの付近に遷座したのだろう だが、なぜ神武天皇が祀られていたのかはよくわからない この神社に関しては資料や文献があまりないようで、情報が乏しい --------------------------- 橿原神宮については、 Wiki に以下のようにある 初代天皇である神武天皇と皇后の媛蹈鞴五十鈴媛命を祀るため、神武天皇の宮(畝傍橿原宮)があったとされるこの地に、橿原神宮創建の民間有志の請願に感銘を受けた明治天皇により、1890年(明治23年)4月2日に官幣大社として創建された。 そもそも奈良の橿原神宮は明治の時代に

関東神社巡り 側高神社

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ご祭神は秘密という側高神社 側高神社の名前はYouTubeの番組で 茂木誠 さんがさらっと触れた程度だが、御祭神が不明だと言うので気になっていた 香取神宮の近くにあるということで、機会があれば行ってみようと思っていた そして今回、茨城の神社巡りのついでに参拝をした この側高神社の位置づけはとても高いものであったようだ 由緒書によると、側高神社は香取神宮の第一摂社であり、創建も神武天皇18年となっており、香取神宮と同時に存在していたとのこと 香取神宮の由緒は側高神社の由緒でもあるという また香取神宮の御祭神である布津主神は側高の地に、鹿島神宮の御祭神である武甕槌神は高天原にそれぞれ天神を祀られた  ※ちなみにここで言う高天原とは、鹿島市に実在する 場所 だ 各々の神宮から東北東約2.5Kmほど位置にそれぞれ存在している また、高千穂や大和地方から東北東の位置にこれらの神宮及び側高と高天原が存在し、それを御歴代の天皇が祀っていた これは古代の日本にとって関東が重要であるということなので、とてつもない情報のような気がする 御祭神については聞いてはいけないということだったので、御朱印を頂く時に神主の方にはとくに質問はしていない ただ、由緒書にはこう書いている ・祭神  天神(あまつかみ)・・・造化三神   →天之御中主神、髙皇産霊神、神皇産霊神 他の祭神についての説明もあって、そこには伊邪那岐神、天照大神、神功皇后の名前も見られた また、 Wiki では相殿神として天日鷲命、木花開耶姫命、武雷命、経津主命の四柱が合祀されたとある その他、経津主命の后神という説もあるらしい また、 Shrine-heritager というサイトで見た情報によると、明治神社誌料という資料では、御祭神が天日鷲命となっていた いわゆるメジャーな神さまが祀られており、これを秘密にする理由がわからないが、あえて言うなら天日鷲命という忌部の祖神がいる でも常総地域を開拓した忌部氏の神さまが祀られるのは当然かなと思えるので、これも特別なこととは思えない だが、一歩踏み込んで考えてみると、過去鹿島神宮と香取神宮の記事でも書いたが、中臣氏の存在が関係して

さらばZ6II!

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ZFの購入にあたり、本日Z6IIを下取りに出した 色々不満点もあったが、総じてとても良いカメラだった Z9を購入してからはメインで使う機会が減った ネックは動体もののAFと暗所撮影で迷うAFだ とくにスポーツ写真には不向きな機種だった でも、絶妙なサイズと重量はさっと持ち歩くのに最適だ 角形フィルターをつける時にも取り回しが楽だ 最近はめっきり登山の機会は減ったが、あのサイズ感でないと登山は厳しい ウォーキング時の持ち歩きには最適だ 角形フィルター装着 高感度も強く頼もしい一面もある 登山の時も丁度良いサイズ スマホとは違い、色表現の深さと立体感はフルサイズならでは スポーツ写真も撮れなくはないが、打率も低く振動とブラックアウトに難儀した 愛着もあり最初は下取りに出すか迷ったが、3台も所有しても使う機会がないだろう ZfはZ6IIの性能を大きく凌駕しており、単なる代替わりとかのレベルでは無さそうだ 下手するとZ9の出番も減ったりするかもしれない

信州神社巡り 諏訪大社

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以前から行きたかった諏訪大社巡りに行ってきた この諏訪大社は諏訪神社の総本社ということもあり、地元に諏訪神社もあることから、以前から興味があった 最近鹿島神宮に行った事もあって、関東近辺の大社はすべて行ってみようと思うようになった ちなみに最近は歴史系の陰謀論のYoutubeを見ることが多くなり、いわゆる記紀系の歴史でないものに惹かれている それまでは神社の祭神は全て天皇の系譜につながるものと思っていたが、そういうわけでもないということもわかり、余計に興味を持った 諏訪大社の祭神は 建御名方神(たけみなかたのかみ) という、大国主命の御子神 大国主神(おおくにぬしのかみ) とは、天照大神の天孫族に国譲りをした神さまだ 建御名方神は国譲りの時にその天孫族に敗れ、この諏訪の地に逃げてきたということらしい そういう意味では諏訪大社は現在の天皇の系譜とはちがう成り立ちのものと考えてもいいかもしれない また、諏訪大社自体は最古の神社のひとつらしく、建築様式も本殿が設けられていないという珍しいものだ そんなこんなで、歴史的な蘊蓄は他の詳しい方に任すとして、いち観光客として諏訪大社を巡ってきた まずは上社前宮 次は上社本宮 次は下社秋宮 最後は下社春宮 それぞれ雰囲気が違い、前宮は素朴、本宮は荘厳、秋宮と春宮は世俗的 個人的好きなのは前宮だ ミシャグジ神も見かけたり、神社の周りの飾ってない雰囲気がとてもいい 次は香取神宮に行ってみたい 動画:諏訪大社巡り 24-120のせいなのかZ6IIのせいなのか、動画撮影時の画面の揺らぎが気になる

再び犬吠埼へ。。。でも、

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9/12に再び犬吠埼に行った 前日に東金で新日本プロレスの興業があったので、そのついでに犬吠埼へ向かった 目的は灯台と星景を撮ることだったが、満月だったこともあり、星景と言うよりは満月と海と灯台が撮れればいいやと思っていた 日中と日没直後はいい感じの天候で、東金から犬吠埼へ期待をもって向かった でも、だんだんと天気は悪くなり、ついには完全な曇空 ホントに天候に恵まれない男だ 自分のせいではないと思いつつも情けなくなる 諦めて翌朝の日の出を撮ることでアタマを切り替え車中泊をした そして、早朝の風景 翌日はゆっくり街中散策でもと思っていたが、よくよく考えたら平日で渋滞を考えたらあまりゆっくりできないことに気がついて、そそくさと帰宅した 例によってinsta360を使ったタイムラプスを撮ってみたが、夜明け前の暗いところから日の出後明るいところという、激しい明暗差を撮ってみた やはり、そういう条件ではうまいこと撮れなかった ちょいノイジーで期待通りのクォリティではなかった もう少しうまい撮り方があるのかもしれない 以下、簡単な動画にまとめました これは自分の睡眠用に撮った波音のみ動画