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レンズの整理

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Sonyのα6700を買ったこともあって、レンズを一気に買いそろえてしまった しかしここに来て要不要がはっきりしてきた ということで、不要となったレンズを取り上げたい まず、Tamronの 18-300mm F/3.5-6.3 Di III-A VC VXD 高倍率ズームレンズだが、写りは良くサイズも大きくないので、登山の時などはこれ一本でいい だが、膝の悪さから登山にも行かなくなった 去年は紅葉を見に高尾山方面にも行ったが、今の自分は高尾山程度が限界だ 去年は意を決して2回ほど登ったが、やはりこれ以上は厳しい となると、この18-300も不要ということになった 登山ができるようになったら、次は16-300でも買うかもしれない 次にSIGMAの Contemporary 56mm F1.4 DC DN 35mm換算で85mmになるので中望遠となる 写りは申し分ないが、あまり使い道がない 風景撮りとスポーツ撮影がメインの自分には不要だった もしこの焦点距離が必要なら、Nikonの58mmをマウントアダプター経由で使うだろう お次はNikonレンズの NIKKOR Z MC 105mm f/2.8 VR S 以前は必ずと言っていいほど、マクロレンズ(Nikonではマイクロレンズ)を使っていたが、最近はほとんど使わなくなった そしてこのレンズはZレンズで初めて買ったSラインだけあって思い入れもある 図体の割に重量は軽く、写りも上々だ だが、ほとんど使わなくなったので、これも処分対象となった そして、最後はテレコンである Z TELECONVERTER TC-2.0x Zマウントの望遠レンズは70-200のみなので、望遠側を強化するために購入したものだ 一昔前のテレコンなんかより写りも性能も問題ないが、あくまで「一昔前」との比較だ やはりAFは遅く、写りも甘くなるので、70-200の写りを生かせないという感じだ 一時は100-400の購入も考えたが、撮影機会も少ないのにここまで金かけなくてもいいんじゃね?となった 今は1.4テレコン、さらに焦点距離稼ぐならAPS-Cクロップで対応することにした そうすれば最大420mmとなる ちなみに1.4テレコンについては使っていて違和感もなく、写りも上々だ そして現在購入を検討しているのが、Sonyの FE 70-2...

APS-C機に思うこと

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相変わらず休みの日は神社巡り多め 時々プロレス観戦 たまに競馬 カメラの棲み分けとしてはプロレスや競馬などのスポーツ観戦には Z9  神社巡りや街角などのスナップ撮りには Zf  サイクリングとかトレッキングには α6700 動画はα6700が撮りやすいので、泊まりがけのスナップ撮りにはZfとα6700の2台を持っていく時もある 「写真機」としてのZfは長年のNikon使いとしては扱いやすい Zfでも動画は撮りやすいが、動画性能についてはα6700の方が上だ Catalyst Browseなどのソフトウェアも充実しているし、周辺機器も充実している また、ボディの小ささもあって2台持っていくことへの体力的、精神的な抵抗が少ない α6700のようなコンパクトなAPS-C機はそこそこ人気があると思ったのだが、今はα7c系のようなコンパクトボディも出てきたこともあり、フルサイズが定番となってきた レンズも小型化が進んでいる そうなるとα6700のような高性能なAPS-C機は時代遅れなのかもしれない ZV-E10系のように動画メインに振り切ってしまうと、ますます高性能APS-C機は不要になる 自分はかつてNikonのD500を使っていた フルサイズ志向となって一度売り払ってしまったが、シャッターフィーリングと連写性能が忘れられず、再度購入してしまった やはりAPS-C機だとボディの小ささによる取り回し、1.5倍の焦点距離にはメリットがあった 例えば300mmであれば35mm換算で450mmになるのは大きな武器だ ZシリーズのDX機に魅力が無いわけではないが、対応レンズの少なさ、性能面への一抹の不安があり、NikonのDX機は選択肢からは外れた Nikonでは高性能なAPS-C機は絶滅危惧種なのか?と思った矢先、 Z50II が出てきた 惹かれる要素は多々あるが、やはりネックはAPS-Cのレンズ サードパーティーもTamron以外は目立っていない SIGMAは細々だし、中華製レンズはいくつかあるが触手は動かない やはりここはSonyをはじめとする各メーカーは高性能APS-C機は出し続けて欲しい あまり、FX30のような動画機ばかりにシフトせず、今後ともオールラウンダーな高性能APS-C機を期待したい

2024年に買ったカメラの話

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Z6IIIが登場した時は触手が動いた でも購入の決断には至らなかった Z6IIIを購入する理由が見つからなかった Z6IIIを買わない理由、それはZ9との棲み分けができないことだ そもそもZ9を買った理由は、スポーツ系の写真におけるAF性能、ブラックアウトフリー、連写性能、D850時代に味わった高画素の魅力だ 購入後にZ8が登場した時は、早まったなぁと思ったが、後々Z9購入が正解だったと気付かされた その理由はバッテリーだ Z8はバッテリー性能に懸念がある もしZ6IIIを買えばZ9と同様スポーツ写真を撮るだろう でもそうなると気になるのはバッテリー Z6IIIもバッテリーは強くないだろう Z6IIですらバッテリーの弱さを感じていた  同じ目的のカメラの2台持ちはできない 仮に2台持ちしたらZ9は使わなくなるだろう では、Z9を売り払うほどの価値がZ6IIIにあるか? うーん....買わないっていうか買う理由が見つからない そんなこんなでZ6IIIは断念した ちなみにZfは、そもそもZ6IIIとは位置づけが違うので、Z9とは棲み分けが可能だ Zfはライフスタイルと言っても過言ではない と、同時にZ9の高感度耐性への物足りなさはZfが吸収してくれている そんなこんなで今年はカメラを買うことはないだろうと思っていた 自分自身が親知らずの治療やら親の通院の付き添いが増えたことで、外出の機会が激減したのもその理由の一つだ だけど、諸々の事情がひと段落したことや、サイクリングを再開したこともあり、小さなカメラを求めるようになっていった そんな時にSonyのZV-E10が格安で売られていた フルサイズカメラはボディもレンズも大きい Zfですら大きく感じる やはり散歩やサイクリング、いずれ再開するであろうトレッキングには小さいサイズが手ごろでいい だからといってスマホの画質はノッペリだし、少し作り物感(写真はとくに)もあって好きではない 写真も動画も撮りやすいZV-E10はちょうどよかった 同じAPS-CならZ30やZfcという選択肢もあったが、Zレンズには魅力を感じるAPS-Cレンズが少ない  ところが使っていくうちにまずEVFが欲しくなってしまった 最初のうちは本格的な撮影用じゃないからと割り切っていたが、いったん感じてしまうと、その欲望は止めることはできない また、操作感も...

関東神社巡り 忌部の足跡1

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南房総の神社巡りは、阿波忌部の痕跡を巡る旅でもある 阿波を開拓した忌部一族がさらなる繁栄を求めて、この房総半島に上陸し、土地を開拓したと言われている 千葉の最南端のこの地は四国の阿波(あわ)にちなんで同じ名称の安房(あわ)だ また忌部一族が房総全域を開拓し、その地が麻がふさふさに育つことから総国(ふさこく)となり、時代が下って上総(かずさ)、下総(しもうさ)、安房(あわ)と別れた 安房の房の字もふさなので、統一された名称ということがわかる そんな天富命率いる忌部一族が最初に上陸したといわれるのが駒ヶ崎神社だ 神社にはとくに由緒書らしきものはない 神社というよりは祠といった感じ 鳥居越しに太平洋を見る 黒潮に乗って阿波からこの地に上陸したのだろうか 伊豆半島や伊豆大島にも忌部の足跡があるようなので、いずれそちらにも行ってみたい 駒ヶ崎神社からちょっと上がったところにあるのは布良崎神社 鳥居の真正面に富士が見える この布良崎神社の由緒書には、5世紀に御祭神である天富命が四国の忌部族を率いて上陸したとあるが、神武天皇の勅命とあるため皇紀2600年とは矛盾してしまう 個人的には皇紀2600年というのはファンタジーと思っているので、納得できる部分もある 男神山と女神山? 天富命は天布刀玉命の孫にあたる 天布刀玉命は天孫降臨の際、瓊瓊杵神に従い随伴した神のひとりで、天児屋根神(中臣氏、藤原氏の祖神)とともに祭祀を司る神とされる その天布刀玉命に従ったとされる神は天日鷲命、手置帆負命、彦狭知命、櫛明玉命、天目一箇命の五神 阿波忌部の祖神は天日鷲命となっており、天富命は天布刀玉命直系であることから、主従関係、上下関係も明白だ 天富命は阿波忌部(天日鷲命)ということではない また、天富命は讃岐忌部(手置帆負命)や紀伊忌部(彦狭知命)も率いていた事が他の神社伝承からもわかっているので、イコール忌部ということでなく、忌部を統括する立場の人であったようだ 忌部というのは祭祀を司る部民であるため、天布刀玉命に連なる人々は共通の信仰(神道)を基盤としていたことがわかる 祭祀を司る部民だとは言え、やっていることは祭祀だけでなく、農業、漁業、建築土木などにも通じていたため、神武天皇(ヤマト王権)からの信任も厚く、東国開拓を任されたのだろう と、なると神話における建御雷神、布都御魂の東征神話との関連...

Z6III....出たら買うかどうか迷っている

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Z6IIIの噂がチラホラ出てきた No, the Nikon Z6 III will not be announced within two weeks ただ、Nikon Rumorsの情報によると登場はまだまだ先だという 現在はZ9とZfの2台体制 正直言ってこの2台の出来が良すぎて、もうカメラ要らないなと思っている かと言って不満がないわけではない Zfは操作感に難あり、マニュアル操作は楽しいが、毎度毎度は面倒だなと思うこともしばしば Z9は高感度ノイズが気になる 暗い室内でのノイズはキチンとノイズ処理をしないと厳しい ノイズ処理なし ノイズ処理あり スポーツ写真で大量に処理をする場合、いちいちノイズ処理するのは面倒くさい JPEG撮って出しでさっさと処理したいので、ノイズが少ないに越したことはない でもそれぞれの欠点は他の要素で補って余りある性能がカバーする やはりZ6IIIを買いたいという気持ちは薄れてしまう 仮に買うとするならどちらかを下取りにするだろう(正直言って3台も要らない)

関東神社巡り 横須賀の神々4

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願いが叶うという叶神社 乃木坂工事中の中でヒット祈願として訪れていた神社であることは知っていたが、乃木坂46ファンだからと言って別に聖地巡礼として参拝したわけではない 叶神社は東西に分かれている 元々江戸時代に浦賀を東西に分けた時に、これまでどおり同じ神徳をと願った住民の願いによって東側にも分霊を行ったとのことだ したがって、西側の叶神社が元宮であったということになる まずは東の叶神社 こちらの奥ノ院には幕末に勝海舟が咸臨丸で米国出航前に断食修行をした場所が残っている 長い長い階段を上った先に奥宮がある 神明社 東照宮 奥ノ院(本殿) 奥ノ院全体がやけにひっそりとしているのは幕府側の神社とされたからだろうか ただ元々叶神社自体は石清水八幡宮から勧請された神社ということで、御祭神は誉田別尊(応神天皇)となっている 八幡神社でないのは不自然な気がする 続いて西側の叶神社 こちらが叶神社の元宮となる こちらの神社の方は寺っぽいので、そばにある東福寺と習合された影響だろうと思われる この神社を建立したのも分覚上人という僧侶なので、当然と言えば当然か 叶大明神となっている 摂社で祀られている御祭神で面白いものが見つかった 大鷲神社があり、天日鷲命が祀られているのだが、これが元鎮守ということだ ここにも忌部氏の痕跡があった だが、日本武尊が前面に出ている事から、海南神社と同じように忌部系の祭神は薄められた可能性が考えられる だが、由緒にはそのようなことは何も記述はない 叶神社は両方とも海岸線に近いことから、かなり古くから存在し、元々は違う御祭神が祀られていたのだろう それにしても日本武尊とはいったい何者だろう?ヒーローなのか、侵略者なのかという疑問が沸々と湧いてきた 参考) 叶神社

関東神社巡り 横須賀の神々3

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以前(2009年)自転車であちこち走り回っていた頃、走水神社の神職者さんの行列を見かけた 撮影はE-520 + 12-60mm F2.8-4 当時はあまり神社というものに興味は無かったのだが、この光景がやけに心刻まれていた 時は流れて2024年、古代史散策と神社巡りが趣味となり、再び走水神社に行った 走水神社は創建年代は不明 御祭神は日本武尊(やまとたけるのみこと)と御后の弟橘媛命(おとたちばなひめのみこと)の二柱だ  日本武尊の東征のため、房総半島に渡る足がかりの地となる横須賀、そして走水神社 古代東海道はここから海を渡り、房総へ向かうということらしい 房総へ渡る時に暴風雨にあい、それを鎮めるために犠牲となった弟橘媛命 その伝説はここ横須賀だけでなく対岸である房総側にも多くある 何しろ木更津や君津の地名の由来も日本武尊が弟橘媛命を偲んで、「キミサラズ」が訛ったという話もある 奥ノ院に行くと面白い摂社があった 古代稲荷社ということらしい このかたちの稲荷社は見たことがない 向かって左から諏訪社(タケミナカタ)、神明社(アマテラス)、須賀社(スサノオ) 多分ここが元宮なのだろうと思ったが、国津神であるタケミナカタが祀られているというのは若干違和感がある 高台にあることからこの地は昔から津波や高波からの避難地であったと感じた 井戸も存在することから、水も豊富な場所であったことから、ここは日本武尊が来る前から地域住民が集まる重要な拠点だったと感じた ここ走水神社には河童も祀られている 河童たちは散々いたずらして住民たちを困らせてきたが、大津波の時に罪滅ぼしということで、住民達を守るために河童達は奔走したが、虚しくも河童達はみな滅びてしまったという綺麗な伝説だ 奥にあるのが水神社 河童が祀ってある 正直言って怪しい伝説だなと感じた 多分河童は漁業や水運に精通した元からいた先住民、または先に開拓した人々のことだと思う ヤマト政権側の入植者達は先住民たちを蹂躙したのだろう そういう意味ではこの伝説は怨霊信仰のひとつではないかと感じた  そういえば以前トレッキング趣味であった時に奥多摩や丹沢に行くとやたら日本武尊の名前も見かけた 御岳山をはじめ奥多摩...