関東神社巡り 側高神社

ご祭神は秘密という側高神社


側高神社の名前はYouTubeの番組で茂木誠さんがさらっと触れた程度だが、御祭神が不明だと言うので気になっていた 香取神宮の近くにあるということで、機会があれば行ってみようと思っていた
そして今回、茨城の神社巡りのついでに参拝をした

この側高神社の位置づけはとても高いものであったようだ

由緒書によると、側高神社は香取神宮の第一摂社であり、創建も神武天皇18年となっており、香取神宮と同時に存在していたとのこと 香取神宮の由緒は側高神社の由緒でもあるという
また香取神宮の御祭神である布津主神は側高の地に、鹿島神宮の御祭神である武甕槌神は高天原にそれぞれ天神を祀られた ※ちなみにここで言う高天原とは、鹿島市に実在する場所

各々の神宮から東北東約2.5Kmほど位置にそれぞれ存在している また、高千穂や大和地方から東北東の位置にこれらの神宮及び側高と高天原が存在し、それを御歴代の天皇が祀っていた これは古代の日本にとって関東が重要であるということなので、とてつもない情報のような気がする


御祭神については聞いてはいけないということだったので、御朱印を頂く時に神主の方にはとくに質問はしていない ただ、由緒書にはこう書いている

・祭神
 天神(あまつかみ)・・・造化三神
  →天之御中主神、髙皇産霊神、神皇産霊神

他の祭神についての説明もあって、そこには伊邪那岐神、天照大神、神功皇后の名前も見られた
また、Wikiでは相殿神として天日鷲命、木花開耶姫命、武雷命、経津主命の四柱が合祀されたとある その他、経津主命の后神という説もあるらしい
また、Shrine-heritagerというサイトで見た情報によると、明治神社誌料という資料では、御祭神が天日鷲命となっていた

いわゆるメジャーな神さまが祀られており、これを秘密にする理由がわからないが、あえて言うなら天日鷲命という忌部の祖神がいる でも常総地域を開拓した忌部氏の神さまが祀られるのは当然かなと思えるので、これも特別なこととは思えない

だが、一歩踏み込んで考えてみると、過去鹿島神宮と香取神宮の記事でも書いたが、中臣氏の存在が関係している気がしないでもない 少なくとも武甕槌神は中臣氏にとっては祖神にあたるといわれているのだが、経津主神はそれにはあたらない なのになぜか、いつの間にか経津主神は中臣氏の氏神のように、この二柱とも春日大社をはじめ全国の春日神社にて祀っている
中臣氏はこの常総地域が出自といわれており、中臣氏のお膝元にある二つの格式の高い神宮を影響下に置くために自らの祖神としてまとめたのだろうか

また経津主神は忌部系の由布津主命と同一ではないかとの説もある そうなると忌部の祖神である天日鷲命を側高で祀っていることは別の意味合いが生じる 忌部氏は朝廷の祭祀を司り、房総地域を開拓した氏族なので、同じように祭祀を司り、常総地域が地元の中臣氏とは利害が衝突したのかもしれない
常総地域の利益と大和政権の祭祀の独占にあたり、忌部氏を追い出した中臣氏(藤原氏)にとっては、側高に忌部系の神が祀られていることは都合がよくない ってことで側高の御祭神は語ってはならぬ秘密にしたとのだろうか?

となると、鹿島神宮は中臣氏、香取神宮は忌部氏ということで均衡が保たれていたのだが、中臣氏の専横によって、すべて中臣氏のものにしてしまったという物語も想像する

いずれにしても極めて政治的なものを感じてしまう

だが、当時の中臣氏(藤原氏)の力をもってすれば、御祭神を変えてしまうことなど難なくできると思うのだが、何故それをしなかったのだろうか?
中臣氏の影響力をもってしても、はるか昔から神宮だった鹿島と香取は簡単に手出しできない特別な存在だったのかもしれない

やはり香取神宮と鹿島神宮の話はまだまだ語り切れない奥の深い物語があるようだ



【参考サイト】

【使用機材】
カメラ:Nikon Zf





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