関東神社巡り 茨城の橿原神宮

何故か茨城にある橿原神宮 こぢんまりとした神社だが、実は奈良にある橿原神宮よりも創建は古い


というのも現在奈良にある橿原神宮は明治23年創建で、この茨城にある橿原神宮の創建は奈良時代の和銅年中(708-715年)ということだ

御祭神は神武天皇、桓武天皇、崇道天皇(早良親王)となっている  
この地を治めていた平国香の先祖を辿ると桓武天皇にあたり、その関係の深い親王である早良親王の二柱を平氏一族の守護神として祀ったのだろう

早良親王は桓武天皇の皇太弟にあたるが、藤原種継の暗殺に関与した罪に問われ、皇太弟を廃された 絶食して没した事になっているが、事実上の処刑だと思われる しかし、その後不吉な事象(皇室関係者の病気、死亡、疫病の流行等)が相次いだため、早良親王の鎮魂のため崇道天皇と称されることになった だが正式な皇位継承をしてないため、歴代天皇には数えられていない

この神宮の名前は以前は柏原大明神といわれていたらしい 柏原というのは桓武天皇の別名が柏原天皇なので、名前からいっても桓武天皇が主祭神のような気もする ただ、桓武天皇と崇道天皇はあとから合祀(延長5年《927》)され、その時から柏原大明神となったとのことなので、やはり最初から神武天皇がお祀りされていたようだ
また、境内にある由緒書によると、元々は石崎村升原(茨城町中石崎)にあったものを室町時代に湊村宮山町(明神町)に遷座した しかし江戸時代に炎上したため最終的にここへ遷座されたことになっている ここからは勝手な妄想だが、最初に升原にあったものは涸沼沿いにあったことから、海沿いの重要拠点だったと思われる しかしその後海が引いたことから、中心地が那珂湊付近に移ったためこの付近に遷座したのだろう

だが、なぜ神武天皇が祀られていたのかはよくわからない
この神社に関しては資料や文献があまりないようで、情報が乏しい

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橿原神宮については、Wikiに以下のようにある

初代天皇である神武天皇と皇后の媛蹈鞴五十鈴媛命を祀るため、神武天皇の宮(畝傍橿原宮)があったとされるこの地に、橿原神宮創建の民間有志の請願に感銘を受けた明治天皇により、1890年(明治23年)4月2日に官幣大社として創建された。

そもそも奈良の橿原神宮は明治の時代に国家神道を宣揚するために明治天皇の勅命によって建立されたもの ただ、歴史に基づくものを建立したので、それでもいいじゃないっていう意見もある

個人的にはそれが正しいものであれば問題ないと思うが、ネットで不思議な話を見つけた

というのも、神武天皇即位の橿原の地は現在の畝傍山の東南にあるとしているが、この解釈がそもそも間違っていることが、江戸時代の時点で指摘されていたらしい これは畝傍山の西南ということが正解らしく、本居宣長も指摘しているとのことだ また、本来の地とされるあたりの村は地名そのものが変えられたらしく、そこには神武天皇社という神社が存在する話が面白い

明治から始まった国家神道とやらは日本古来の神道を重要視しているようで、政治的妥協なのか何なのかわからんが荒さが目立つ カタチだけ整えましたって感じがアリアリで、調べれば調べるほど嫌悪感が湧いてくる



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